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ジョアン・ミロ/Joan Miro

ジョアン・ミロ(1893〜1983)は、ピカソ(1881〜1973)と並ぶスペインの巨匠として知られる芸術家です。故郷であるカタルーニャ地方を生涯愛した彼にとって、同地の風景や動植物は作品の重要なモチーフとなりました。

1893年、カタルーニャ地方のバルセロナに生まれたミロは、幼い頃よりデッサンに親しみ、1907年に入学したラ・ロンハ美術学校でさらにその技術と情熱を高めていきます。不安定な情勢下で、一時は商社での勤務を余儀なくされますが、画家になりたいという熱意は途絶えることなく、1912年からはガリ美術学校で再び絵画を学びました。印象派やフォービスム、キュビスムの画家たちに影響を受けた風景画や肖像画を手がけるなかで、のちに「細密主義」と呼ばれることとなる、自身の鋭い観察眼を活かした緻密な画風を確立させていきました。初めてパリを訪れ、ピカソと出会った1920年以降、ミロは夏の間をバルセロナの小村モンロッチで自然とともに暮らし、パリで冬を越すようになります。パリでは、1921年に個展を開催するも成果がふるわず、経済的な行き詰まりに直面する一方、精巧な筆づかいで描きあげた【農村】(1921〜1922)が小説家のアーネスト・ヘミングウェイ(1899〜1961)に買いあげられるなど、その独自のスタイルは徐々に認められつつもありました。また、この1920年代前半において、ミロは写実的な描写のなかに記号を織り交ぜる手法を用い、【耕地】(1923〜1924)をはじめとする代表作を制作しました。その後、シュルレアリスムの系譜に連なる【アルルカンのカーニヴァル】(1924〜1925)を皮切りに、具象と抽象、現実と夢が地続きとなった幻想的な作風へと移行し、無意識に湧きあがるイメージを形にしていきます。

1930年代前後には舞台美術やコラージュなど絵画以外の表現にも挑戦し、自身の芸術をさらに掘り下げていきますが、1936年に勃発したスペイン内戦が、ミロの作品に戦争の恐怖や貧困の苦しみを色濃く反映させていきます。家族とともにパリに亡命した彼が制作した【刈り入れ人】(1937)は、万国博覧会にてピカソの【ゲルニカ】(同年)とともに展示されました。第二次世界大戦が近づく1939年初頭には、パリから海沿いの町ヴァランジュヴィルに移り住み、その自然豊かな風景のなかで「星座」シリーズに着手します。グワッシュや油彩によって、記号化された星や鳥、流麗な文様がリズミカルに表現された一連の作品は、血なまぐさい現実から身を守るミロの自由な想像力と詩情に満ちています。このシリーズは、スペインに帰国してからも制作が続けられました。

1940年代は新しい技法を積極的に取り入れるとともに、陶芸や版画、彫刻などの分野にも裾野を広げていきました。また、回顧展をきっかけに、これまでの作品や活動が国際的にも評価されるようになります。1950年代以降は作品のスケールも大きくなっていき、より簡素で洗練された作風によって、自身の内に育まれた芸術精神を解き放ちました。そして、晩年のミロの関心は書や禅といった東洋の美術・文化へと向かい、1966年に初めて来日した際には、詩人で美術評論家の瀧口修造(1903〜1979)との共同制作が実現しました。日本ともつながりの深い作家であると言えます。

ジョアン・ミロ/Joan Miro

ジョアン・ミロ/Joan Miro

ジョアン・ミロ/Joan Miro

ジョアン・ミロ/Joan Miro

ジョアン・ミロ/Joan Miro

作品名:コンポジション 黒

サイズ:13×10.5cm(エッチング ed.15)

価格:SOLD OUT

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