具体美術について
具体美術の概要
「具体美術協会」(以下、「具体」)は、1954年に兵庫県芦屋市で発足した前衛美術グループです。代表者の吉原治良と、彼に師事した若手の芸術家たちから成る「具体」は、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」というグループ名の由来の通り、既存の概念にとらわれない新しい造形を絶えず模索しました。
結成から3年ほどは、「具体」を象徴する実験的な取り組みが特に活発な時期でした。素材そのものを際立たせる表現や、泥の山に飛びこみ格闘する、体当たりで紙を突き破る、絵の具入りの瓶をカンヴァスに投げつけるといったアクション、野外や舞台を利用した作品発表など、ジャンルを横断する多様な実践が試みられました。
1950年代末頃になると、「具体」の焦点は絵画に絞られるようになります。フランスの美術評論家、ミシェル・タピエとの出会いを契機に海外進出を果たした際、輸送しやすい平面作品の需要が高まったためです。これにより初期の実験精神は弱まるものの、成熟した絵画作品は欧米の展覧会へ次々と出品され、国際的な飛躍を遂げます。一方、60年代前半に加入した第二世代は、これまでの「具体」の流れを汲みつつも、平面を浮き立たせる手法などで、新しい画面空間を積極的に創出しました。
1965年には、若手とベテランを問わず多くの作家が加わり、新風を吹き込みました。ハードエッジやテクノロジーを駆使した新世代の作品は「具体」にさらなる多様性をもたらし、吉原をはじめとする初期の会員たちの作風にも影響を及ぼします。そんな後期「具体」の集大成が、1970年に大阪で開催された万国博覧会への参加であり、同時に、これが「具体」にとって最後の大規模なイベントとなりました。
1972年、吉原治良の急逝により、絶対的な指導者を失った「具体」は解散を余儀なくされます。しかしながら、その先鋭的な活動は日本の戦後美術の出発点として鮮烈に刻まれ、今なお国内外で注目を集めています。
具体美術年表
1954年 | 8月頃、兵庫県芦屋市にて、画家の吉原治良と彼に師事する若手作家16名により「具体美術協会」が結成される。 |
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1955年 | 1月、機関紙『具体』を創刊する。この年に、0会の白髪一雄、村上三郎、金山明、田中敦子が新たに加入し、グループの先鋭性が強まる。また、7月に開催された「真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展」(7月、芦屋公園)を契機に浮田要三、白髪富士子、元永定正、鷲見康夫も加わり、「具体」の中核が形成される。10月には第1回具体美術展が東京の小原会館で開催され、白髪一雄の足で描く絵画、村上三郎の「紙破り」など、「具体」の代名詞とも言える作品が発表された。 |
1956年 | 4月、野外展を通して「具体」に興味を持ったアメリカの雑誌『ライフ』の取材に応じ、「具体」会員の制作風景が尼崎の武庫川尻の廃墟で撮影された。『芸術新潮』12月号には、吉原治良の「具体美術宣言」が掲載される。ジャンルを超えた多様な取り組みを紹介しながら、「すべて未知の世界への果敢な前進を具体美術は高く評価する」というグループの理念を述べている。 |
1957年 | 9月、アンフォルメルを提唱したフランスの美術評論家、ミシェル・タピエが来日する。この出会いにより、「具体」は絵画を中心としたグループへと移行していく。10月は、タピエの企画でアンフォルメルの国際展「世界・現代芸術展」(ブリヂストン美術館、東京)が開催される。「具体」からは嶋本昭三、白髪一雄、吉原治良が出品した。また、この年には舞台を利用した美術展が初めて行われている。 |
1958年 | 4月、「具体」とタピエとの共同企画で「新しい絵画世界展―アンフォルメルと具体」を開催した。吉原治良とタピエが選んだ欧米と日本のアンフォルメル作家と「具体」の作品を紹介する国際展となった。大阪の後は、長崎、広島、東京、京都を巡回。9月は、タピエの斡旋により、ニューヨークのマーサ・ジャクソン画廊で「具体」のグループ展が開かれる。これを皮切りに海外への出品が相次ぎ、国際的な知名度が高まっていく。 |
1959年 | 5月、トリノの芸術家協会会館での「アルテ・ヌオヴァ」に、金山明、嶋本昭三、白髪一雄、田中敦子、正延正俊、村上三郎、元永定正、吉原治良が出品する。6月には、トリノのアルティ・フィギュラティヴィ画廊にてグループ展が開催される。 |
1960年 | 3月、ミシェル・タピエがトリノに国際美学研究所を開設し、村上三郎が日本代表委員に就任する。また、タピエと吉原が再び共同で企画したアンフォルメルの国際展、「国際スカイフェスティバル」が高島屋の屋上で開催された。 |
1961年 | 3月、トリノの国際美学研究所にて、「日本の伝統と前衛」が開催される。「具体」からは吉原治良をはじめとする会員17名が出品した。 |
1962年 | 9月、大阪の中之島に独自の展示施設「グタイピナコテカ」を開館する。ここが「具体」の活動拠点となるとともに、大阪における現代美術館の役割も担った。このグタイピナコテカで、10月には嶋本昭三の、11月には白髪一雄の個展が開かれた。 |
1963年 | 1年を通して、「具体」会員の個展がグタイピナコテカで立て続けに開催された。白髪一雄、元永定正、吉原治良がパリのグランパレ国際展に出品するなど、海外での活動も引き続き見られた。 |
1964年 | この頃には、欧米の美術館や画廊から直接「具体」に声がかかるようになっていた。1月にニューヨークのグッゲンハイム美術館が企画した「グッゲンハイム国際賞展」に田中敦子、吉原治良が出品したほか、ブエノスアイレスやワシントンD.C.で行われた展覧会にも、「具体」の会員が数多く参加した。また、第二世代と呼ばれるメンバーもこの頃までにそろい踏みする。 |
1965年 | アムステルダム市立美術館での「ヌル」国際展に参加するなど、海外での華々しい活動が続く中、「具体」の創作にさらなる変化がもたらされる。第15回具体美術展を機に吉原治良が迎え入れた多くの作家たちは、新しい素材や手法を用いた斬新な作品を生み出し、表現の可能性を広げた。こうした多様性は硬直化していた「具体」に新陳代謝を促し、吉原治良をはじめとする初期の会員たちの作風にも影響を与えた。 |
1966年 | 前年に引き続き招待されたヌル国際展と、第2回ローザンヌ国際画商展に、会員全員が出品する。また、グタイピナコテカを中心に、会員の個展が開かれる。 |
1967年 | 5月、「具体」に神戸新聞平和賞(文化賞)が授与される。個展のほか、グループ展示も定期的に開催された。 |
1968年 | グタイピナコテカを中心に、個展や展覧会が定期的に開催された。 |
1969年 | 会員の今中クミ子の個展がグタイピナコテカで開催されたほか、特記すべきことなし。 |
1970年 | 3月から9月まで大阪で開催された万国博覧会への参加は、この年のメインイベントであるとともに、「具体」としては最後の大規模な活動となった。3月は会員全員で、万博美術館の屋外に「ガーデン・オン・ガーデン」を共同制作し、みどり館エントランスホールでは「グタイグループ展示」を行った。博覧会の終盤には、太陽の塔が隣接するお祭り広場で「具体美術まつり」を開催した。この華やかな活動の陰で、具体の本拠地であるグタイピナコテカが立ち退きのため4月に閉館した。さらに、万博の閉幕後、「具体」のけん引してきた会員数名が離脱し、グループに陰りが見え始める。 |
1971年 | 旧グタイピナコテカ近くのビルに「グタイミニピナコテカ」が開設される。ここで、グループとしては事実上最後の展覧会が12月に催される。 |
1972年 | くも膜下出血に倒れた吉原治良が、2月に息をひきとる。絶対的な指導者を失った「具体」は、3月末日に解散を決議する。これをもって、18年間にわたる活動は幕を閉じた。 |
具体美術の代表的な作家と作品
- 吉原治良
- 「Untitled」(1962)東京都現代美術館
- 「黒地に赤い円」(1965)兵庫県立美術館
- 「白い円」(1967)大原美術館
- 嶋本昭三
- 「作品」(1954)芦屋市立美術博物館
- 「作品」(1957年)兵庫県立美術館※大砲で赤、黒、黄色の絵の具をまき散らす
- 山崎つる子
- 「Work」(1960)国立国際美術館
- 正延正俊
- 「作品」(1960)国立国際美術館/エメラルドグリーンにクリーム色の点描
- 上前智佑
- 「作品」(1962)大阪中之島美術館/黄色を基調とした塗り込み、集積
- 吉田稔郎
- 「SPLAY」(1964)高松市美術館
- 吉原通雄
- 「作品」(1965)芦屋市立美術博物館/白カンヴァスに色とりどりの細い布
- 田中敦子
- 「作品(ベル)」(1955/2000)芦屋市立美術博物館
- 「電気服」(1956/86)高松市美術館
- 「WORK1963A」(1963)宮城県美術館/円と線が複雑に入り組む
- 「作品(6)」(1955)東京都現代美術館
- 村上三郎
- 「作品」(1957)芦屋市立美術博物館/赤と黒と白の絵の具が激しく混じる
- 「作品(剥落する絵画)」(1957年)芦屋市立美術博物館
- 白髪一雄
- 「泥に挑む」(1985)兵庫県立美術館/再制作
- 「天雄星豹子頭」(1959)国立国際美術館
- 「天暴星両頭蛇」(1962)京都国立近代美術館
- 金山明
- 「作品」(1954)東京都現代美術館/白いカンヴァスに短い紺色の線が五本
- 「WORK1963」(1963)宮城県美術館
- 元永定正
- 「作品(水)」(1955/2022)
- 「作品65‐1」(1965)西宮市大谷記念美術館/茶色とグレーの円4つずつ
- 「作品N.Y. No.1」(1967)兵庫県立美術館
- 鷲見康夫
- 「作品」(1961)大阪中之島美術館
- 白髪富士子
- 「白い板」(1955/85)兵庫県立美術館(山村コレクション)
- 向井修二
- 「記号の部屋」(1961)/インスタレーション
- 「Untitled」(1964)大阪中之島美術館
- 前川強
- 「麻/白」(1963)大阪中之島美術館
- 松谷武判
- 「繁殖63」(1963)京都国立近代美術館
- 「繁殖65‐24」(1965)国立国際美術館
- 名坂有子
- 「作品」(1960)宮城県美術館/無数の円盤が規則正しく並ぶ
- 菅野聖子
- 「アルファからオメガまで」(1970)宮城県美術館
- ヨシダミノル
- 「JUST CURVE`67 Cosmoplastic」(1967)高松市美術館
- 小野田實
- 「WORK 70-11」(1970)姫路市立美術館
- 今井祝雄
- 「白のセレモニー・HOLES#5」(1966)大阪中之島美術館
- 高﨑元尚
- 「装置」(1966/2003)兵庫県立美術館
- 田中竜児
- 「棲(8)」(1962)大阪中之島美術館