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岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本太郎は、独創的でエネルギッシュな作品群はもちろんのこと、そのバイタリティにあふれた活動と強烈なキャラクターでもよく知られている、稀代の芸術家です。

1911年、歌人で小説家の岡本かの子(1889〜1939)と漫画家の岡本一平(1886〜1948)の間に生まれた太郎は、東京美術学校(現・東京藝術大学)退学後、18歳のときに両親とともに渡仏します。両親の帰国後も、芸術の中心地であった1930年代のパリに10年以上滞在し、他では得難い濃密な時間を過ごしました。同地で目の当たりにしたピカソの絵画【水差しと果物鉢】(1931年)は、太郎に大きな衝撃を与えたもののひとつであり、これが抽象画を志す契機となりました。また、前衛芸術団体「アプストラクシオン・クレアシオン協会」に最年少のメンバーとして加入したほか、マックス・エルンスト(1891〜1976)といった名だたるシュルレアリストたちと親交を深め、創作の刺激を受けました。しかしながら、彼の関心は芸術分野にとどまらず、パリ大学では哲学や心理学、民族学といった教養を身につけています。とりわけマルセル・モース(1872〜1950)のもとで学んだ民族学は、太郎独自の芸術観を醸成することにつながっています。さらに、エルンストに誘われて参加した政治集会ではジョルジュ・バタイユ(1897〜1962)の演説に感銘を受け、秘密結社「アセファル」に入会し、そこで体験した秘儀が【夜】(1947年)や【電撃】(1947年)のモチーフになっていると言われています。このように、太郎は1930年代のパリに胎動していた様々な潮流に生身で飛びこんでは、そのエネルギーを貪欲に吸収していったのです。

戦時下は兵役を余儀なくされ、パリ時代の作品も空襲によって自宅もろとも焼失してしまいますが、1947年に二科会員となってからは、本格的に創作活動を再開します。「対極主義」という独自の思想を掲げた太郎は、【重工業】(1949年)や【森の掟】(1950年)などの問題作を次々と発表し、1948年には花田清輝(1909〜1974)らと「夜の会」を結成して前衛芸術運動を推進しました。また、縄文土器をはじめとする日本の起源や原風景に新たな美を発見し、その取材のために彼が撮影した写真は、貴重な民俗資料として評価されています。1950年代に入ると太郎の表現や活動の幅はさらに拡大し、もはやどの枠組みにも分類されない、「岡本太郎」という唯一無二のジャンルを確立していきます。その異色の存在感は、1970年の大阪万博で制作した【太陽の塔】(1970年)や近代主義に反発する展示の数々によってひときわ輝き、大衆にも広く浸透しました。

没後から30年近くたった今でも、太郎の作品や言葉は驚くべき求心力を持ち、リアルタイムの彼を知らない若者たちにも影響を与え続けています。それは、太郎が残したものの中に、彼のいきいきとして色あせない生きざま、命の輝きそのものを見出すことができるからかもしれません。

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

岡本 太郎/Okamoto Taro

作品名:坐ることを拒否する椅子

サイズ:H47cm×D45cm

価格:SOLD OUT

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