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森田 子龍/Morita Shiryu

書家の森田子龍(1912~1998)は、第二次世界大戦後に一時代を築いた革新的な書表現の試みである、「前衛書」の旗手として世界的に知られています。

兵庫県豊岡市に生まれた森田は、中学校を卒業して働くかたわら、1932年頃から書を手がけるようになり、神戸の書の研究会で書家の上田桑鳩(そうきゅう、1899~1968)と出会います。戦前に書道藝術社を結成するなど、「前衛書」の端緒となる運動をすでに行っていた上田の知遇を得て、1937年に上京すると機関誌『書道藝術』の編集に携わり、展覧会への出品を始めました。同年に第2回大日本書道院展にて推薦金賞、特選銀賞第一席を受賞し、さらにその翌年には日満支書道展において文部大臣賞を獲得するなど、華々しいデビューを飾っています。

1948年には、疎開のために戻っていた故郷で、上田門下の機関紙である『書の美』を創刊しました。この雑誌において、文字を書かない実験的な書を研究する「α部(アルファぶ)」が新設され、その公募作品の選評を画家の長谷川三郎(1906~1957)が担当したほか、朝日新聞社の学芸部記者で「現代美術懇談会(以下、ゲンビ)」の発足に一役買った村松寛(1912~1988)や、洋画家の須田剋太(1906~1990)らが寄稿している点などに、戦後の書と美術の交流を実現させた功績が窺えます。

1950年代には日展をはじめとした展覧会において保守的な書家と革新的な書家のあいだに軋轢が生じていましたが、そうした潮流を受けて森田も自身の先鋭性を強めていきます。1951年に芸術総合誌『墨美(ぼくび)』を創刊したことを皮切りに、その翌年は上田のもとを離れて井上有一(1916~1985)らと墨人会の設立、さらに相互批評や研鑽を目的とした『墨人』の創刊にも従事するなど、八面六臂の活躍を見せました。たとえば『墨美』の創刊号の表紙に、当時の日本ではまだ無名だったアメリカの画家、フランツ・クライン(1910~1962)の絵を採用し、『墨人』を通して吉原治良(1905~1972)たちゲンビのメンバーと交流を深めるなど、森田の活動は書と国内外の抽象画家たちを結びつけるとともに、森田自身が海外でも認知される契機を生みました。また、明治以降の書の歴史化やデータベース化によって、日本の近代美術において周縁化されている書を芸術として確立させようとした点も見逃せません。森田は芸術家としてのみならず、編集者としても優れた才能を持ち合わせていたのです。

そんな森田の手がけた作品では、字形にとらわれない躍動感があふれつつ、あくまでも絵ではなく文字として表現されている点もさることながら、表面に残された筆の跡によって時間の経過や身体の動きが視覚化されている作風も特筆すべきでしょう。【蒼】(1954年)における、濃度の高い墨が盛り上がり生み出された凹凸、【圓】(1969年)の、にじみと平面的な線が見せる筆の運びなど、様々な方法を通して独自の造形を模索しています。黒いケント紙にアルミ粉を混ぜたボンドで書いたものに、上から漆をかける独自の技法「漆金」を作りだすなど、新しい素材の探究にも余念がありませんでした。そのようにして紙の上にしっかりと刻まれた筆跡は、作者の息づかいや精神、その一度きりの生命の輝きを鮮やかなまでに浮かび上がらせています。

森田 子龍/Morita Shiryu

森田 子龍/Morita Shiryu

森田 子龍/Morita Shiryu

森田 子龍/Morita Shiryu

森田 子龍/Morita Shiryu

作品名:寿(書)

サイズ:69×47cm(1971年 紙に墨 共シール)

価格:ASK

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