M.C.エッシャー/M.C.Escher
M.C.エッシャー(マウリッツ・コルネリス・エッシャー、1898~1972)は、その類まれな奇想と幾何学的な構成によってグラフィックアートの可能性を広げた、20世紀を代表するオランダの版画家です。
エッシャーは1898年に、オランダのフリースラントの州都であるレーワルデンで生まれました。両親からは建築家になることを期待され、1919年からハールレムの建築・装飾芸術学校で建築コースを選択したものの、1週間も経たないうちにアール・ヌーヴォー運動を牽引した版画家であるサミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868~1944)の版画専修コースに転向しました。幼い頃から絵を描き、中学時代に独力でリノリウム版画を制作したこともあったエッシャーは、その才能をメスキータに認められ、両親の説得にも尽力してくれた彼のもとで、基本的な技法や芸術家としての心得を学んでいきました。この頃から、図形を反転、または回転させて増殖させ、平面を覆うテセレーションの手法を用いるようになり、友人の著作のために制作した連作【イースターの花】(1921年)には、その装飾技法や自然のモチーフ、遠近法など、エッシャーが生涯追い続けたテーマがすでに詰めこまれています。また、初期の傑作として名高い【天地創造の2日目】(1925年)は、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」のなかでも最も有名な図である【神奈川沖浪裏】(1830~32年頃)から影響を受けていると言われています。
大学卒業後に旅したイタリアでは、オランダにはない地形や地中海の景色に魅了されます。エッシャーは毎年のように同地を訪れては、その風景版画を意欲的に制作しますが、この時期に培った精緻な描写力が、空想と現実が混ざり合う、のちの不可思議な作品世界につながっています。また、スペインではアルハンブラ宮殿の幾何学的な装飾にも触発されました。ファシズムから逃れるためスイスに移住した1935年以降は、これまでの写実的な風景画から一転して、幻想的な心象風景を数多く手がけていきます。1937年から制作が始まった「メタモルフォーゼ」シリーズのなかでも大作である【メタモルフォーゼⅡ】(1939~1940年)では、トカゲからハチの巣、魚から鳥、教会からチェス盤というように、あるイメージから別のイメージへと滑らかに変容していく様子が画面を埋めつくしています。
このほか、手に持った鏡状の球体に自身が映りこむ作品、錯視効果を利用し、現実にはありえない空間のパラドックスを厳密に描いた「だまし絵」のシリーズなど、その唯一無二の世界観は注目を集め、1950年代にアメリカの『タイム』やイギリスの『ザ・ストゥーディオ』といった雑誌で取り上げられると、国際的にも高い評価を受けることとなりました。日本では、【物見の塔】(1958年)などの「だまし絵」が1970年代の『少年マガジン』の表紙に使われ、人気に火がつきました。視覚的な訴求力に満ちたエッシャーの作品は、シュルレアリスムやオプ・アートの潮流を予感させる新しい芸術を展開し、今もなお、大衆から科学者まで幅広い層の人々を魅了し続けています。
作品名:作品
サイズ:79×52cm(リトポスター)
価格:50,000円
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