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難波田 龍起/Nambata Tatsuoki

難波田龍起(1905~1997)は、日本の近代・現代美術を代表する洋画家の一人です。

北海道旭川市で生を受けた難波田は、生まれて間もなく家族とともに東京に出て、幾度かの転居ののち本郷駒込林町に移り住みます。奇しくもそこは、詩人であり彫刻家でもある高村光太郎(1883~1956)が構えていたアトリエの裏隣でした。1923年の関東大震災直後の夜警当番をきっかけに高村の知遇を得た難波田は、彼の芸術観や思想から多大なる影響を受けるようになります。当初は詩作を志していた難波田が絵画の道を歩み始めるのは、早稲田大学を中退し、太平洋画会研究所や本郷絵画研究所などで学ぶようになった1927年頃からです。高村の紹介で国画会の重鎮・川島理一郎(1886~1971)に師事し、セザンヌ(1839~1906)やルドン(1840~1916)への傾倒を経て、1935年頃より古代ギリシア彫刻に着想を得た幻想的な作風に転じます。この一連の作品には、彼が生涯抱き続けた古典への憧憬が感じられるとともに、独特な触感を持つマチエールからは、触覚や内面の発露を重視した高村の影響も見てとれます。

1950年代に入ると抽象への志向がより強まっていき、直線と曲線、近代と古代、無機的なものと有機的なものの対立や葛藤を通して、人間の内面や心の機微に切りこんでいきました。また、1956年の「世界・今日の美術展」を皮切りに日本で一大旋風を巻き起こしたアンフォルメルにも大いに触発され、1960年代はドリッピング(垂らし)によるダイナミックな線描で、生命の躍動を感じさせるオートマチックな画面を描き出しました。1970年代にはドリッピングから筆による線描に回帰しますが、線と色彩が融合して微妙な揺らぎを見せる独特の画面空間は、1950年代の幾何学的な作品群とは明らかに異なり、より深い精神性や詩情を漂わせています。以降、古代ギリシアへの憧憬や、1970年代に亡くした二人の息子への思い、ひいては生命全体に対する深い思索など、難波田の内面世界はカンヴァスの上で統合され、美しく抒情的な世界観が確立されていきました。最晩年に制作した、事実上の遺作【翔】(1996年)では、もはやはっきりとした形象が見出せないほど、線は色彩のなかに溶けこんでしまっており、その色彩の連なりや揺らめきが、難波田が追求してやまなかった生命の流動を感じさせます。

70年にも及ぶ難波田の画業は、初期から晩年にかけて絶えず新たな造形を求めて変化を繰り返してきました。それは、難波田が高村から学び、自身の根幹とした思想、「優れた芸術作品は必ず生命の戦慄を宿す」という芸術観を体現するものであったと言えます。

難波田 龍起/Nambata Tatsuoki

難波田 龍起/Nambata Tatsuoki

難波田 龍起/Nambata Tatsuoki

難波田 龍起/Nambata Tatsuoki

作品名:心象風景

サイズ:3号(1968年 5月 キャンバスに油彩)

価格:ASK

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