堂本 印象/Domoto Insho
堂本印象(1891~1975)は、大正から昭和にかけて京都を拠点に活躍した日本画家です。
京都に生まれた印象は、1910年に京都市立美術工芸学校を卒業したのち、しばらくの間は家計を支えるため西陣織の図案描きに従事していました。しかし、幼い頃から抱いていた画家への志を捨てきれず、1918年に援助を受けて京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学します。翌年には、初出品した日本画「深草」が第1回帝展に入選を果たし、華々しいデビューを飾りました。第3回展では「調鞠図(ちょうきくず)」が特選を、第6回展では「華厳(けごん)」が帝国美術院賞を受賞し、若くして画壇の花形として迎え入れられます。
とりわけ昭和初期は、京都画壇において中心的な役割を担う躍進の時期でした。作品の出品はもちろんのこと、様々な官展の審査員を務めながら、母校の京都市立絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても、後進の育成に尽力しました。さらにこの時期は、仁和寺や東福寺、東寺などの有名寺院の障壁画を描く機会を得て、宗教画家としての才能も大きく花開きました。
印象は極めて多作な作家であり、その作風も多岐にわたります。初期は古典的な題材を採用し、伝統的な日本画を繊細な筆づかいで制作していましたが、戦後は社会的な風俗画によって、再出発を図る日本の美術界に刺激を与えました。さらに作風が変貌を遂げるのは、すでに還暦を過ぎ、画壇の重鎮であった彼がヨーロッパに旅立った1952年以降です。ヨーロッパ各地を訪問するなかで、西洋古典のみならず現代美術の動向にも大いに触発された印象は、帰国後、形態のデフォルメや簡略化に挑み、新しい日本画のかたちを模索しながら、抽象表現の世界へと分け入っていきました。【交響】(1961年)は、印象が挑んできた日本画材による抽象表現の代表作と言えるでしょう。
「伝統を打ち破って新たな芸術の創造を目指すことが真の伝統である」という理念の通り、印象は絵画以外にも彫刻やガラス工芸、染色、陶芸、金工を手がけたほか、京都府立堂本印象美術館の内装から外装を自らデザインしており、幅広い仕事においてその多才ぶりを窺い知ることができます。
作品名:交響
サイズ:27×17.5cm(紙本彩色 共シール)
価格:800,000円