鈴木 治/Suzuki Osamu
鈴木治は、戦後の陶芸界を牽引した陶芸家であり、前衛陶芸家集団「走泥社」の主要メンバーです。長年の功績が認められ、1999年には、陶芸界で初となる朝日賞を受賞しました。
1926年、鈴木は陶業の中心地である京都の五条坂に生まれました。父は、千家十職(せんけじっしょく)の永樂善五郎の工房でろくろ師を務めていた鈴木宇源治(うげんじ)です。京都市立第二工業学校窯業科を卒業後、海軍航空隊の整備兵として入隊したため、本格的に陶芸の道を志すようになったのは、戦後に入ってからのことでした。1948年に八木一夫や山田光らとともに結成した「走泥社」は、戦後の陶芸界において新たな造形分野を確立しましたが、その50年に及ぶ活動の中で、鈴木もまた独自のスタイルを模索し、築きあげていくことになります。1954年、八木がオブジェ焼きの記念碑的作品である【ザムザ氏の散歩】を発表すると、鈴木も伝統的な器とは異なる斬新な作品を次々と生み出しました。「泥像」や「土偶」と名付けられたその作品群は、量感と素朴な力強さにあふれ、鈴木が生涯にわたって愛した土や火の存在感を感じさせます。1970年代からは、赤い化粧土を施した焼締めと、繊細で優美な青白磁という、まったく異なる表現、効果、技法を行き来し始めます。その作風も徐々に変化を遂げ、馬や鳥などの動物だけでなく、明確にとらえるのが難しい風や雲といった自然現象を、極限まで削ぎ落とされたボリュームで簡明に形作りました。80年代に入ると、鈴木はそれらを「泥象」という造語で呼ぶようになります。そこには、土によって森羅万象をも表現し得る、豊饒な陶芸の世界に対する鈴木の想いがこめられています。
1990年代以降は、作品と鑑賞者の関係にも関心を向けるようになります。観る者に物語や詩歌の世界を呼び起こそうと試みた晩年の作品は、文学的な色合いを帯びながら、一層芸術の深まりを見せています。
作品名:ふたもの(泥像)
サイズ:H12×W14.5cm(1967年 セラミック 共箱)
価格:ASK